
思想は、歴史的な人物が、社会問題を中心に、理論的に組み立てたものであると思う。「〇〇主義であるべきだ」「人間は、国家のために生きるべきだ」のような、論理である。
共産主義思想や、日本の戦前の国家主義思想、等々。社会全体に人間の生き方を添わせていく質のものである。
そのように、生きられない人は、社会からレッテルをはられ、人格否定をされてしまう。
反体制派であったり、障がい者であったり、在日外国人であったり、精神疾患をわずらっている人は、社会が奨励する思想どおりに、生きようとしないし、生きられないと思う。差別を受けるからだ。
同じことが、家族社会の中で、起こるとすれば、どうだろうか?必ず、家族関係は悪化すると思う。
そこで、犠牲になるのが、子どもたちだ。子どもの感性は鋭い。
大人が「こうしなさい!」と、強制的に育成すると、一旦は従うが、同じようなことを強制され続けると、不信感が生まれる。悪さをして、自己表現を試みる。
では、どうしたらいいのだろうか。
やはり、対話をすることである。
社会にとって利用価値のある人間に、育てるのでなく、人間関係において大切な存在として、育成するのである。
子どもを信じること。人格を認めること。
大人を信じられない子どもたち。社会のルールに疲れ切って、精神的疾患をわずらった人たち。
この子どもたち、この人たちは、薬では治せないと思う。
第三者が、相談にのり対話をして、信じる心を、よみがえさせること。
家族や社会の中で、信頼関係の再構築を、援助すること。
それが、カウンセラーの仕事であると、再認識している最中である。

コメントを投稿するにはログインしてください。