✿「ジョーカー」によせて

川崎の町は、映画館が多い。今では、シネマコンプレックスが3カ所、合計31のスクリーンがある。むかしは、商店街の中に映画館があった。私の母は、私が4歳ごろから弟を背負い、よく映画館に連れて行ってくれた。だから、思春期になると友だちと一緒に、2本立ての映画を見に、映画館に通った。小説よりもテレビドラマよりも、映画から生き方を学んだように思う。 

最近「ジョーカー」というアメリカ映画を見た。バットマンシリーズで、バットマンのかたき役のお話だ。何故、ジョーカーという悪人が生まれたのか。何故、殺人を犯してしまうほど「悪の華」を咲かせてしまったのか。 

一人の精神的やまいを抱えている人物の日常と、生い立ちを描きながら、犯罪を犯してしまう心の流れとカオスを、丁寧に描いている。 

主人公アーサー=ジョーカーがカウンセリングを受けてる場面があり、精神的やまいと母との貧しい生活状態が分かる。時代設定は、1980年代のアメリカの一都市。その当時のアメリカは、個人カウンセリングと投薬が精神病治療の主流だった。でも、それでは治らない。場合によっては、薬によって悪化する。 

個人心理療法のアンチテーゼとして生まれた、アメリカの家族療法は、1970年代から80年代にかけて、盛んに実践展開がなされた。正にアーサーに必要な治療法だと思うが、福祉事業の縮小によって、カウンセリングも投薬も打ち切られてしまう。 

アーサーは、子どものころに、母の再婚相手に虐待を受けていた。アーサーはそれを覚えてはいない。認知症をわずらった母からは、伝えられていなかった。だから、他人にバカにされ攻撃されても、抵抗すらできなかった。 

子どものころに虐待を受けると、脳細胞の発達に悪影響をおよぼす。暴力、暴言、ネグレクト、性的虐待など。発達障害やADHDは先天的な障がいの場合もあるが、0歳から12歳ぐらいまでに受けた身体と心の傷は、発達障がいや精神的病気となって残る。 

アーサーはジョーカーになることによって、自分を解放した。自分をさげすんだ人々を殺すことによって、自分を開いた。共に暮らした、母さえ殺すことによっても。 

殺人は多大な犯罪だ。亡くなった人だけでなく、家族や周辺の人々を不幸にする。人は人を殺してはいけない。でも、アーサーは子どものころから、心を殺され続けた。 

最後の場面は印象的だった。アーサーは精神病院に入り、再びカウンセリングを受けるのだが、今までとは違うニュアンスで笑い続ける。カウンセラーが「笑っているのはなぜ?話してみて」と質問する。アーサーは「君には理解できないさ」と苦笑いして、カウンセラーを否定し突き放した。その言葉が、なぜか胸に刺さる。 

殺人犯を罰するのは、当然である。でも、殺人を犯した人間の心の中を、心理学的理論と理性で眺めるだけなら、所詮、理解することはできないのだろう。 

ジョーカーを演じたホアキン・フェニックスは、あるインタビューで語っている。 「僕が確信を持てるアーサーの真実は、子供の頃にひどい目にあって、かなり深いトラウマを抱えていると言う事だ。それがアーサーを創りあげるスタートだった」 

ちなみに、ホアキンは2018年に製作されたイギリス映画「マグダラのマリア」で、イエス・キリストを演じている。マグダラのマリアは、西暦600年ごろから、罪深い娼婦であったとされてきた。

2016年にローマ教皇は、マグダラのマリアはイエスの使徒であったと、表明した。イエスの苦悩は、マリアの共感性に助けられていた。 

ホアキン・フェニックスは、すごい俳優だと思った。 彼はみごとに、2020年のゴールデングローブ主演男優賞や、アカデミー賞主演男優賞を受賞した

ジョーカーとイエス、まるでカードの裏と表のようだ。 

悪の華を咲かすまでには、その人間のつらい苦しい生育歴 があることを、忘れてはならないと思う。