栗原心愛(みあ)さんの死

千葉県野田市の栗原心愛(みあ)さんの虐待死から、1年以上が過ぎた。2020年3月19日、傷害致死罪などに問われた父親勇一郎被告(42歳)の裁判員裁判で、千葉地裁(前田巌裁判長)は、「尋常では考えられないほど、陰湿で凄惨な虐待だ」として、懲役16年の判決を言い渡した。 

この間、千葉地裁での勇一朗被告の法廷での証言を、新聞やネットで読むたびに、自分の心が深くうずく。勇一朗被告は、みあさんがいなくなることを望んでいたとしか思えない。 

公判では、被告の携帯電話などに残された動画の一部が、証拠として提示された。 
2018年7月10日午前2時すぎ、みあさんが玄関で土下座するまでの様子が映し出された。 

勇一朗被告がみあさんに「土下座だよ。早くやれよ」と要求し 
みあさんが「じゃあ許してよ。家族に入れてよ」 
勇一朗被告「ムーリー」と答える。
みあさんが「私のことなんて、どうでもいいんだ」と言うと、 
勇一朗被告は「えっ、今さら?(夫婦と次女の)3人でいた方が楽しいし」と、言ったという。 

亡くなる半年前の動画である。拷問のような虐待。それを、動画撮影をする保護者としての、人間としての倒錯した心理。 

母親は、自分自身と次女を守るため、虐待を容認し続けた。 

この虐待死亡事件は、氷山の一角のように思う。 

確かに、陰湿で陰惨な虐待ではある。でも、それぞれの祖父母や学校の先生、児童相談所の職員は、虐待を目撃しなかったにせよ、みあさんの訴えをくみきれなかった。 

大人の言い訳を信じるか、子どもの心と身体の痛みを、感じとれるか。 「助けて―」という心の叫びを、受け止められるか否か、だと思う。 

では、どうしたら虐待を防げるのだろう? 

大人が子どもに対する、一方的な思いや支配を、第三者の大人が確認検証するしかない。 自分の子どもに、自分の育て方に干渉しないでほしい、という保護者意識にアプローチするしかない、と思う。 

子ども育成は、子どもをコントロール=支配するものではなく、子どもの成長を、周りの大人たちが喜び、励ますものであること。 
成長の楽しみと喜びを、周りの大人たちが共感しあえること。 
子どもが、家族や社会の中心であること、だと思う。 

 単純な価値観が、現代の日本社会には定着していない。その価値観を共有できれば、虐待は減少すると思うのは、楽観的であるだろうか。 

子育て真っ最中の保護者は、迷走状況にあると思う。特に母親は、生活のためなのか自己実現の欲求なのか、判断すれすれのところで、働き生活し、子どもを育てている。 

子ども育成のために、保護者や親族、第三者=保育園、幼稚園、学校、学童保育などのチームプレーが求められているのではないか。 

子どもへの虐待を生まないために、家族、親族、地域の連携を強化しよう。 
子どもの成長を社会の中心に据えて、子どもに優しい地域社会を創造しよう、と強く思うのである。