✿子どもにとっての暴言と暴力

長年、保育活動を行ってきて思うことがある。「しつけと怒ることの違いは何か」である。私は近年、家族療法カウンセラー・家族相談士として活動しているが、兼業で保育活動も行っていた。
怒ると叱るとの違いで、とまどっている保護者がいる。また、保育士もその違いやバランスで自問自答し、悩むことが多々ある。

しつけすることをすべて止めてしまうと、子どもはルールを違う方向に覚えてしまう。極端に例えれば、スプーンやおはしなどの道具を使わずに食事をしたり、排せつをトイレですることを、覚えられなかったりする状態となる。

また、叱ることをすべて止めてしまうと、兄弟姉妹や友だちのおもちゃを取ったり、自分の思いを通そうと泣き続けたり、ケンカになったりしてしまう。

要するに、人間関係作りのルールを学ぶ事ができないのである。この場合、大人が叱り方を知恵をしぼって工夫すれば、子どもはそれなりに考えて、次の行動をイメージしようとする。子どもの力を、信じればいい。

怒るということは、大人の感情次第で、子どもに言葉を投げかけることだ。そう、保護者だけでなく、保育士、教育者でも感情に身をまかせて、怒ってしまうことがある。怒るという行為は、大人中心の行為でその結果、子どもの心がどうなるのか、関心がないし観察などしない。

しつけと叱ることは、その時代の社会規範に左右される。極端にいえば、100年前の社会的ルールは、現代にはほとんど通用しないと思う。また、食生活は戦後大きく変わった。食べ方のマナーは、民族的文化によって、かなり違う。しつけは、社会性と文化によって、内容が違ってくるのだ。また、男性と女性と価値観が違うと、家庭内でしつけの不一致がおこる。

だから、子どもは混乱する。感情的に怒られたり、しつけと称してお風呂場やベランダに、長時間放置されたりする。また、食事を与えられなかったり、お風呂に入れなかったする。これがネグレクトだ。

子どもは、その意味を理解できない。当たり前である。その時の感情は大人だけもので、ただの発散と押しつけなのだから。子どもとのコミュニケーションは皆無である。

命令的暴言と痛みを与える暴力は、子どもの心を傷つけ、脳細胞を徐々に変形させる。そして、成人になると精神的障がいなどを残すかもしれない。この罪を、子どもに関わるすべての人は自覚しなければならない。
保護者、保育士、教育者、おじいちゃん、おばあちゃん、地域の人々、すべての大人が自覚しないと、虐待はなくならない。

そういう私も、失敗だらけだった。失敗したら、子どもの表情や態度から、その場での心情から学んだ。自戒の念を込めて、現代の虐待問題に向けて、提起したい。

「暴言、暴力は、子どもの心と脳細胞を委縮させ、こわす」