
長年、保育士をしていた経験上、保育的な観点だと子どもが変われば保護者が変わる、と思う。 未熟であるがカウンセラー的には、保護者が変われば、子どもが変わると思う。 卵が先か、ニワトリが先かの話しに等しい。 でも、どちらが変化しやすいかと言えば、子どもである。
暴力や言葉で虐待したり、日常的にネグレクトしてしまう保護者は、自分の虐待が認識できず、しつけの一環だと思っている。 自分の子どもがかわいく思えない場面が、多々あるのかもしれない。 食べることや排せつの自律などを、他の子どもと比較したりする。 うちの子は、○○ちゃんより遅れているのではないか。なんで、○○くんより、おはしの使い方がへたなんだろう、等々。 そのたびに、イライラして怒ってしまうのかも、しれない。
保育士も、同じように「みんな一緒」の感覚で、同年齢児を比較してしまう場合が、多々ある。 発達心理学のみで、子どもの育成を判断してしまえば、必ず、集団から飛び出してしまう子どもが、出現する。 ひと昔の言い方では「落ちこぼれ的な、自分勝手な子ども」なのだ。これは、大人の育成の価値観の問題である。
この育成観は、子どもに対する支配的で一方的な、あるべき姿論である。この観点を変えなければ、子どもはいつまでも救われない。 子どものペースに合わせた育児、子どもに寄りそう保育を実践しなければ、大人の都合に合わせた、従順な人間になるだろう。
この数年、待機児童解消に向けての自治体の取り組みや、認定保育園の存在で保育環境が目まぐるしく変化している。そこで、気になるのは、保育内容の質である。保育士の労働は、本当にきつく厳しい。まず、賃金が安い。離職率が高く、保護者対応や職場の人間関係で、うつ情態になる人が少なくない。
保護者の家族的状況や、労働実態にそくして保育環境を整えていくことは重要なことだ。そして、現場の保育士は試行錯誤を繰り返し、頑張っている。でも今、保育士の保育観が試されている。発達心理学だけでなく、家族心理学的観点が、必要とされていると思う。
家族の実態が理解できれば、子どもへの理解が深まる。個々の子どもを理解できれば、寄りそう保育ができる。 そして、子どもたちが活き活きできる保育内容を、創造できる。 でも、この保育内容の実現は、いばらの道である。
まずは、保育学校の教育内容を検討すること。小学校の教職員なみの、待遇改善をすること。 そうでなければ、この先数年間は、混乱は続くと思われる。 やはり、子どもを保育・教育するためには、社会全体が変わらなければならない。社会の大人たちの育成観が変われば、確実に子どもが変わるのである。 社会が変われば女性自身が子どもを産み、育てる意欲がわいてくるのである。
だから、保護者や保育士だけを、責めないでほしい。この問題は、現代の日本社会の構造を改革しなければ、いつまでたっても、少子高齢化から脱却できないと、痛切に思う。

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