本当のパパとウソのパパ

放課後児童クラブで、実践していたころ、よく子どもたちの悩みを聞いていた。一人親家族が、全体の3分の1くらいいて、放課後児童クラブを利用する回数が多かった。土曜日は比較的のんびり過ごしていて、おしゃべりする時間があった。ちなみに、私は、子どもたちから「おぐらっち」と呼ばれていた。

<Aくんの話し>
近くの公園で、Aくんと男の人が話しているのを、時々、見かけていた。で、Aくんにストレートに「あの人はだれなの?」と、聞いてみた。
「あの人は、本当のパパなんだ。土曜日の午前中は、公園でパパと待ち合わせているんだよ。僕のこと、心配してくれて、会いに来てくれるんだよ」「おうちに、パパが会いにいけないの?」と聞くと。
「おうちには、ウソのパパがいるから、ダメ。本当のパパに会うのは、ママも怒るから、ナイショなんだ。だから、おぐらっちもナイショにしてよね」「うん、わかった。でも、本当のパパは、何が心配なのかな?」
「ぼく…、ウソのパパに、時々、なぐられるから。本当のパパが、心配して会いに来るんだ。だから、本当のことパパに、全部、話すんだ…」この時、Aくんは小学1年生だった。

<Bくんの話し>
小学3年生になったら、急に暴れん坊になって、おじいちゃんが手を焼いていた。離婚した後に、Bくんは3カ月に1回、本当のパパと弟と一緒に映画を見に行って、ファミリーレストランでご飯を食べていた。
「ねえ、最近、どうしたの?おじいちゃんが、Bくんは、全然大人の言うことをきかないって、心配してたけど」
「だってさ、ママったらひどいんだよ。これからは、パパと会うのはダメっていうんだよ。パパは本当は優しいのにさ…。弟だってパパが大好きなんだよ。それなのに、なんで会っちゃいけないんだよ」と言うと涙をいっぱいためて、泣き出した。
私も、もらい泣きしてしまった。
実は、素敵なママに新しい彼氏ができた。子どもたちが彼と仲良しになるように、本当のパパに会わせない方針をたてたとの事だった。
半年ぐらい経った頃、Bくんと新しいパパ?が、公園でキャッチボールをしていた。「新しいパパと、仲良しているじゃない。良かったね」と言うと。
「新しいパパじゃないよ。ママの彼氏だよ。ママのためにやっているんだよ。本当のパパは、引っ越して、今はどこにいるか、わかんないんだ…」と言って、またまた、涙をためて大泣きした。私も、一緒に泣いてしまった。

<Cくんの話し>
「ねえ、おぐらっち。電子レンジで、料理ってできるの?」
「うん、できるよ。なんで?電子レンジで、何かつくりたいの?」
「パパが帰ってくるのが、遅くてさ。ガスは使っちゃダメって言うし。お腹がすいちゃうからさ。ぼくが作ろうかと思って…」
この時、Cくん小学2年生。お兄ちゃんとパパの3人暮らし。電子レンジ料理は意外と、難しいので、コンビニで売ってるものを、チンして食べることを提案してみた。しばらくして、Cくんから報告があった。
「おぐらっちの言ったこと、パパに話してみたら、パパも考えてくれてさ。チンして食べられるもの、買っておいてくれたよ。それと、土曜の夜は、ママがきて、ごはん作ってくれてる」
「良かったじゃない。ママとパパと、みんなで、一緒にご飯食べてるんだね」
「ううん、違うよ。ぼくとお兄ちゃんとママの3人だけ。パパはその時は、友だちと、お酒をのみにいってるみたい。パパはママに会いたくないみたいだからさ…」
たんたんと語る表情は、とても大人なびていた。Cくんはその後、パパと一緒に住みながら、休みの日には、お兄ちゃんと一緒にママと過ごしているようだった。

Aくん、Bくん、Cくんは、今頃は高校生か成人を迎える年齢。どんな風に成長しているのだろうか。やはり、離婚した家族が歩む道は、結果的に、子どもの心を置いてきぼりにしてしまうことがある。
だから、第三者のフォローが重要であり、子どもの思いを聴くことが大切だ。思春期前に、何でも話せる大人の存在が、その子の人生の糧になる。

放課後児童クラブ、学童保育が、そのような子どもたちのより所になってほしいと思う。また、おじいちゃんやおばあちゃんの存在が、話し相手になれれば子どもたちは救われると思う。10年以上前のシークレットな話しを、フィクションとして描いてみた。